犬の遺伝子の不思議

「種」とは、生物を分類する上での基本単位であり、互いに交配することが可能で、通常は同じ種であれば似た外観を持つとされています。しかし、私たちにとっておなじみの動物・犬という種はどうでしょうか。同じ犬という種でありながら、大きさ、毛色、足の長さ、顔の作りなど、外観上大きく異なる動物がすべて犬という一つの種にまとめられています。これはほかの動物ではあまり見られないことです。

どうして犬はそれほど多種多様な姿形が生まれたのでしょうか。それは、犬と人の歴史と、犬の遺伝子が非常に深く関わっています。


人が犬を作ってきた歴史

犬ほど私たち人と太古より世界中で生活を共にしてきた動物はほかにいません。犬と長く生活し、犬の特徴や可能性を理解してきた私たちは、次第に犬を自分たちの目的に合わせて作り分けるようになりました。たとえば、家畜をオオカミなどの外敵から守らせるために体のがっしりとした勇敢な犬同士を交配してより大きな犬を作っていったり、貴婦人がファッションの一つとして抱いて持ち歩けるように小さくて毛並みの美しい犬を作っていったり…などです。こうして、現在では世界中にさまざまな大きさや顔つき、毛並みの犬が存在するようになったのです。


犬は特殊な動物?

しかし、いくら品種改良を重ねていったといっても、犬のバリエーションの豊富さとその変化の速さはほかの家畜やペットと比べて群を抜いています。人と犬がともに暮らし始めた歴史が長いといっても、犬の品種改良を意識的に行い、さまざまな固定した品種が誕生するようになったのは、実はわずかここ200年のことなのです。

どうやら、犬には体を変化させやすい何か秘密があるようです。その秘密についてお話をするために、まずは遺伝子というものについて少し知っておく必要があります。


親と子が似るのは遺伝子のせい

ここ数年「ミックス犬」と呼ばれる異なる品種を掛け合わせた犬がとても人気です。さまざまな犬種を掛け合わせたミックス犬を目にしますが、その両親の特徴がうまく表れている子が多く、驚くばかりです。たとえば、チワワのお父さんとミニチュア・ダックスフンドのお母さんから生まれた犬は、大きな立ち耳はチワワ、胴の長さはミニチュア・ダックスフンドにそっくりだったりします。このように通常、生まれてくる子供は両親それぞれに似てくるもので、それは遺伝子によって親の形質が子に伝えられたからです。

遺伝子とは細胞一つ一つの中にある核という部分に納められている、いわば体を作る設計図のようなものです。私たち人も犬も最初に発生した時はたった一つの細胞ですが、その中には母親の卵子からの遺伝子と父親からの精子の遺伝子がちょうど半分ずつ入っています。そしてそのたった一つの細胞の遺伝子を何回もコピーして細胞分裂を繰り返しながら体を作り上げていくのです。ですから、ある部分は母親からの設計図を基に作られ、別の部分は父親からの設計図を基に作られて、個性が出てくるのです。


遺伝子から体を作るしくみ

遺伝子はA(アデニン)、G(グアニン)、C(シトシン)、T(チミン)という4つの塩基が延々と(犬で約24億個)つながり、さらにAとG、CとTがそれぞれ向かい合って結合することによって2本の紐がより合ったような形(2重らせん)をしています。この塩基の紐のことを塩基配列といいますが、この配列を設計図としてアミノ酸が形成され、アミノ酸からたんぱく質が作られ、それぞれの動物の特徴を持った体が作られていきます。

この塩基配列は細胞分裂をするときにはいったん2本の紐のよりがほどけますが、ほどけた後でもAにはGが、CにはTが結合するので、理屈ではまったく同じコピーがとられるようになっています。


時としてコピーを間違えることも…

しかし、何代も何代も繁殖を繰り返すうちに、時としてコピーミスをして親とは異なる遺伝子になってしまうこともあります。コピーミスは一箇所だけ単発で起こる場合もありますが、特に2~4つの塩基配列がたとえばACACACAC…のように何度も繰り返される場所がいくつかあり、その領域のことをマイクロサテライトと呼ぶのですが、この部分はコピーミスをしやすく、そのために遺伝子変異がおこりやすい場所といわれています。

人やほかの動物の場合、マイクロサテライトの繰り返し回数を間違えても大きな変化が見られないことのほうが多いのですが、犬ではその違いがさまざまな形態上の変化を起こしやすく、また、ほんのわずかな遺伝子の違いが大きな見た目の差を生むことがある、ということが最近になってわかってきました。


頭の形を左右する遺伝子

たとえば、犬の骨を作る細胞の分化を調節する遺伝子部分に存在するマイクロサテライトの反復する数と、鼻の長さや頭の形には関連があることがわかりました。ですから、同じ犬の中でもボルゾイのような長い鼻もいれば、パグのような鼻のつぶれた品種も存在するようになったのです。

また、グレート・ピレニーズなどある種の犬はうしろ足の狼爪(親指に相当する部分の爪)が2本あることが知られていますが、これもある箇所のマイクロサテライトと関連があるということが研究により明らかとなりました。


体の大きさを決める遺伝子

犬は、血統的に明らかになっていて何代にも渡って先祖をたどることができるものが多く、さらにはその遺伝子の変化が身体上の変化として現れやすいということから、現在ではさまざまな研究者が犬の遺伝子について詳しい研究が行っています。

2004年に犬のすべての遺伝子が解析され、さらに400種類を越す品種のDNA解析が行われた結果、大型犬と小型犬ではある遺伝子のほんの一部分だけが異なることが近年明らかとなりました。その部分は“IGF-1遺伝子”と呼ばれ、この遺伝子は「インスリン様成長因子」と呼ばれるたんぱく質を作る設計図になっている部分です。ほかの動物でもこの部分の変化が体格の大きさを左右することが知られていますが、犬のように数倍もの体格の差にはならないため、犬にはさらに何か遺伝子の秘密があるのではないかと研究が続けられています。


毛質を決める3つの遺伝子

犬の見た目を決定するものとして、全身を覆う被毛がありますが、この毛質も当然遺伝子によって決定されています。犬の毛質を決める遺伝子は3つしかないことがつい最近発表され、RSPO2という固いワイヤ状の毛質と口ひげやまゆ毛の有無を決める遺伝子、FGF5という毛の長さを決める遺伝子、KRT71というカールやウェーブの有る無しを決める遺伝子の組み合わせで7種類の毛質が作られてきたことがわかりました。

たとえば、柴犬なら口ひげはないからRSPO2は野生型、短毛なのでFGF5も野生型、毛は直毛なのでKRT71も同じく野生型になりますが、顔に飾り毛があって長毛でカールした毛を持つプードルは3つすべてが変異型となります。


脚の長さを決める遺伝子

ごく最近になって猫でもマンチカンと呼ばれる脚の短い品種が見られるようになってきましたが、ダックスフンドやウェルシュ・コーギーなど脚の短いペットはまさに犬独特のものでした。そこで、その遺伝子を調べてみると、ほかの犬と比べて“FGF-4遺伝子”と呼ばれる「線維芽細胞成長因子」というたんぱく質を作る設計図になっている部位に重複がみられることがわかりました。これによって脚の骨が長く伸びる前に成長が止まってしまい、短足の犬ができたようです。この遺伝子変異は、はじめは偶然に生じたものだったのでしょうが、人が狩りや牧畜で利用しやすいように脚の短い犬を選んでかけ合わせていった結果、この遺伝子が品種として定着していったものと思われます。


毛色と遺伝子

そのほかにも、しっぽの長さや耳の大きさ、瞳孔の色などすべての形態は遺伝子によって決められており、もちろん、毛色もまた遺伝子によって生まれたときから何色の犬になるかが決定されています。

犬ほどさまざまな毛色、模様を持った動物はほかにいません。ベースの色だけ見ても、白、黒、クリーム色からこげ茶色までのさまざまな茶色のバリエーション、同じくさまざまなモノトーンのバリエーションがあり、それぞれ黒い毛の遺伝子、茶色い毛の遺伝子、色をつけない(白くなる)遺伝子が存在しています。それにグラデーションをつける因子(お腹側の色が薄くなる、特定の場所に褐色が出るなど)や、まだらや縞などの模様をつける因子、基本の色を退色させる因子(黒をグレーにするなど)、差し毛(ところどころに色の薄い毛が混じる)を作る因子など多くの遺伝子が関わって全身の毛色を作り出しているのです。さまざまな色の配置、混じり方があるため、よく見れば1頭として同じ毛色の犬はいないといってもよいほどです。

人が特定の品種を作っていく過程で「この品種はこういった毛色が望ましい」と、品種の中で毛色を意図的に決めてきたため、たとえば白いマルチーズしか見ることができないように、ある特定の色しか見られない品種も存在しますが、そもそも犬はどんな毛色にもなる可能性を秘めた動物であるといえるでしょう。


まとめ

野山で生活するよりも人と共に生きることを選んだ犬という動物は、人が望むように、あるものは愛らしく、あるものは力強く、あるものは優美にとさまざまに形を変えることでより人と密着した生活を送るようになり、人から愛されるようになりました。

いまや私たちは自分のライフスタイルや体力、目的などにあわせてもっとも自分に合った犬を選ぶことができるという幸運を手にしているのです。

一方で、ダックスフンドやコーギーなど胴が長いという特性があるがゆえにかかりやすい疾患があったり、犬種によってかかりやすい病気が遺伝してしまうことも事実です。ただ単に「かわいいから」という理由だけでミックス犬を誕生させてしまうと、疾病を抱えてしまうことにもなりかねません。私たちは人間の良きパートナーとなってくれた犬たちの健康と幸せを担う責任があることを忘れてはいけません。